看板って、やっぱり良いかも
実家は喫茶店を営んでる。商店街の外れにあるし、駅の反対側のロータリーにはチェーン店のカフェができたから、経営は芳しくはない。それでも常連さんは来るし、家賃収入もあるから、なんとかやっていけた。こうした事情を知るようになったのは、私が高校生になってからだった。
久しぶりに帰省して実家の外観を見たとき、驚くと同時に落胆した。周りのお店は、ほとんど看板を掛け換えているのに、実家の喫茶店だけは依然として古いままだ。それでも、やはり、という印象が強い。頑固者の父なら気を使って周りに合わせることなどしないだろうと思っていた。父とは実家を出てから疎遠だった。
私が半ば家出をするように逃げ出してから音信不通の日々が永く続いていた。
たいした会話もないままだったが、程良くアルコールがまわってから私はきりだした。「商店街の看板、みんな換えているよね。酒屋のおじさんに訊いたけど、組合で決めたんだって? うちだけ古いままなのは、やっぱり良くないんじゃないかな」うん、と頷いてから父は立ち上がり、ついてこいというように座敷から出て店舗の入り口に向かう。「看板を換えるのはいい。ただ、この部分だけは残したい」懐中電灯に照らされた箇所には、父と母の署名が小さく、でもしっかりと風雨に耐えて記されていた。記念なのだ。父が祖父から受け継ぎ、新たな気持ちで再出発した日、看板の裏に刻まれた家族の記念碑。わかった、と私は首を縦に振る。「知り合いの業者に頼んでみる。立ち会うし、うまくやってくれると思う」
再び店の奥の座敷に戻ると、父は仏壇の引き出しから何かの紙片を取り出し、読めというように私によこした。左上に私の名前が記してある、私宛の母からの手紙だった。
「大丈夫? 元気? このところ、お母さんは、お母さんがあなたにしてあげられることをずっと考えていました。今すぐあなたのところへ行ってあなたの不安を消してあげたい。でも、お母さんの身体、思うように動いてくれません。お母さんはこんな人だから幸運なんてそんなに持ち合わせてないのだけれど、もし今あなたが、つらくて厳しくてたまらなくて耐えられないのだったら、お母さんの一生分の幸運を全部あなたにあげます。人ひとりの運なんて小さいかもしれないけれど、ふたり分の運を合わせればきっと大丈夫。少なくてごめんなさい。でもいっぱいいっぱいに膨らませてあなたに送ります。だから、悲しまないで。ぜったいに無理をしないで。あなたの人生がずっとずっと幸せであるように祈っています」
日付を見れば、母の亡くなる一週間前。ボールペンで書かれた文字は歪み、乱れている。幸運を全部人に譲り渡してしまったら母さんには不運しか残らないじゃないか。
もう一度読み返そうとして手紙がにじむ。父の気持も少しわかる気がした。私が母にかけてしまった大きすぎる心労、それによって早めただろう死期、大切な時に連絡さえとれなかった。そっと息を吐いて口にしてみる。「父さん、店のこと、手伝えることがあったらするよ。なにか、したい」
父は頷くように私を見る。それは小さな表情の変化だったけれど、父が見せた久しぶりの笑った顔だった。「じゃあ、とりあえずコーヒーを淹れてくれ」
つられて笑ってしまった。
父に涙を見られても、もういい。泣き笑いのまま、それから薬缶を火にかけコーヒーを淹れた。
父と私と、母の三人分。